家庭内の「モラハラ」

実例をあげる前に、「モラハラ」って何? と思われる方にも分かりやすいよう、『ガラスの家』での具体的な夫・一成の言動を見てみましょう。

一成は、当初はものすごく優しく愛情深そうに、かなり年下で心に傷を負った妻・黎に振る舞いますし、家族のいない黎に家族を与えてあげます。

しかしながら、それは裏を返せば「身寄りもない、職もない、学歴も能力もないお前の行くところなんかここ以外にはないんだぞ。

だから、自分の言うこと聞け。」という強迫することにより、黎を支配しようとする、「精神的暴力」以外の何物でもないことが、物語が進むにつれて、徐々に明らかになっていきます。

時には、黎に優しく「愛情」を注ぐような言動を取りますがそれを一成は、第三者に「しつけである」と豪語します。

結婚前は優しかった一成の支配的かつ高圧的な態度、そしてたまに見せる優しげな言動に、黎はとてもとまどい、悩み、苦しみ、その姿を優しく支え見守る息子・仁志に惹かれていき、一成の魔の手は、息子・仁志にも及びます。

黎と仁志は、一成の「モラハラ」から抜け出し、自分の力で人生を切り開いていく道を選ぶ……というのが凡その筋書です。

一成は、何に怯え、何が彼をそうさせたのでしょうか。
相手に対する“怯え”や“妬み”が「モラハラ」の淵源であると言えます。「モラハラ」をする人は、そうしないと自己の存在が維持できないのです。

つまり、かなり特異な人間関係の築き方や接しかたしか、彼はできないのです。彼らの持つ病的なまでの“怯え”や“妬み”というのは、「自己愛が刺激され、傷つけられることに耐えられない」という、〈自己愛〉の“未熟さ”と“脆弱さ”からきているのです。

line2










〈モラハラの実例①〉

「モラハラ」は、家庭内で起こりやすい問題ですが、何も夫婦間に限った事ではないでしょう。嫁-姑-小姑たちなどでも大いに起こりうる問題だと思います。

妻・M子(28)で、夫・K(30)と見合い結婚をする。

妻・M子は、お嬢様育ちで苦労知らずで、名門の女子校を中学校から短大まで進み、そのままその学校が併設している幼稚園で教諭として働く。

仕事が楽しくまた、それなりに恋愛もしていたが結婚には至らず。

30手前の時に両親に懇願され、何人かと見合いをし、彼女曰く「ジャイアン」のような人物であった夫・Kが人物として珍しく、礼儀正しく優しかった。

そして彼の母・H美も優しく丁寧な好人物に見えたため、結婚を決める。
……それからが、M子の苦難の始まりだった。

夫・Kは、家庭内のことには無関心で、子どもができた後も子育てには全く協力せず、少し嫌な事・予想外なことが起こると、妻や幼い子どもに暴力と恫喝をあびせ、他人の気持ちを考えたり共感するといった能力が極端に欠けており、学歴に対して強いコンプレックスがあった。

二度ほど、8歳の長女と6歳の次女を殺しかける程、殴る蹴るを繰り返したこともある。しかし、外面だけは良かった。

そんな夫の行動を助長したのが、同居していた姑のH美だった。彼女は、息子Kを溺愛し、妻・M子の学歴や職歴をとことん馬鹿にし続け、彼女の両親や親類・一族全てをこき下ろす言動ばかりM子にとり続ける。

M子の実家の親類は議員なども多く、決して馬鹿にされるような家柄ではないのに、姑・H美は嫁・M子自身や彼女家柄を馬鹿にし続けた。

M子は、夫の不可解な言動や姑の極端な自分の家柄に対するこき下ろしに耐えきれず、何度も離婚を考えるが、夫の暴力や恫喝、姑の「モラハラ」によって〈支配〉され、すっかり自分自身に自信を失い離婚に踏み切る勇気ないまま、「自分が悪いのだ」という自責の念を植え付けられ、すっかりそれに〈支配〉されつつ一人で娘二人を情緒不安定で、全く心にゆとりのない追い詰められた状態で、体罰と恫喝を浴びせながら育てる。

姉妹

……数十年後、成人して働き出した娘二人が「うつ」病となり、精神科を二人とも受診する。

二人とも、幼い頃から自傷癖があった。妹の方は外来治療でなんとか立ち直ったものの、M子が依存しすぎ、母・M子を気の毒だと思い顔色ばかり伺ってきた長女の方は、重症で8歳の時父親に殴り殺されかけた時に、一度飛び降り自殺を図っていることもあり、「うつ」が重症化するにつれ、彼女の自傷癖はますます悪化の一途を辿り、二度の自殺企図の末、精神科に入院となる。

長女は入院してから、精神科病棟での生活や主治医とのカウンセリングの中で、自分の生い立ちや人生・家庭環境を振り返るという作業を通して、とあることに気づく。

「父親側の家族はオカシイ」と。長女は教育職であったので職業柄、子どもの発達障害や自閉症に対する知識が多少あったのだ。……そう、 長女の父であるKは「アスペルガー症候群」という先天的な疾患があったのだ。

そして長女は、父親側の親類に先天的な発達障害を抱えている親類の多いことにも思い至る。

母・M子に対する執拗な姑や小姑の「モラハラ」は、脳の疾患を抱えた親族が多いというコンプレックスと、姑・H美の「自分の息子が自閉症な訳はない、世界一素晴らしい息子である」と思い込むことのより、H美自身の〈自己愛〉を満足させ、Kの疾患を隠蔽することにより、H美自身の〈自己愛〉を満足させるためのものであったのだ。

それ故、執拗にH美は、嫁・M子自身や彼女の両親や家庭・親族をこき下ろしたのだ。この家の捻じれの発端は、H美の持つ〈自己愛〉の脆弱さだったのだ。

捻じれに捻じれた家庭で長女自身が育ち、情緒不安定な母親・M美と「アスペルガー症候群」の父・Kによる、長女自身が気づかない間に“身体的虐待”と“心理的虐待”によって、心に一生消えないトラウマを負っていることや、そして自傷癖を抱えながら、「うつ」になるほど、我慢し自身を酷使する癖がそこからきていることに気づく。長女、次女ともに〈境界性パーソナリティ障害〉の気があると診断されている。

このように、夫婦間の問題では済まされず、場合によっては成人後の子どもたちに、本人たちが気づかないうちに心に消えない傷をいくつも抱え、それがある日、突然何かをきっかけに爆発し命に係わるということもあるのだ。

近年、神経症の「うつ」は、母親との「愛着の問題」(岡田尊司『母という病』ポプラ新書、2014年)が指摘されています。
つまり、養育期の環境が、「うつ」になりやすい人格となりにくい人格を作るということです。